この記事の目次
はじめに
先日、ツイッターを見ていると「史上初の人体神経直結の義手を開発」
というニュースが流れてきました。
人体の脳から発せられる電気信号を、
腕の先端に取り付けた受信機で受信して、
その電気信号により思い通りに操作することができるという義手。
この開発により、人間はそうしたいと思っただけで義手を動かすことが可能となり、
細かい動作までできるようです。
また、思った通りに動かすだけでなく、
義手に触覚を持たすことも可能だそうで、
触ったものの大きさや形、硬さや柔らかさまで分かるそうです。
元記事:史上初の人体神経直結の義手を開発。精密な動作と触覚が実現。
ヒトの臓器持つ動物を作る研究が解禁
昨年、ヒトの臓器を豚などの動物から作る研究が解禁されました。
これにより、世界中で臓器移植を必要とする人達が助かる可能性が見えてくるとのことです。
以下、2018年10月26日の記事です。
政府の総合科学技術・イノベーション会議の生命倫理専門調査会は26日、
動物とヒトの細胞を混ぜた「動物性集合胚」を動物の子宮に移植して子を産ませ、
ヒトの臓器を持つ動物を作る研究を条件付きで認めた。
文部科学省がまとめた指針改正案を了承した。
改正手続きを経て、来春にも動物の体内でヒトの移植用臓器を作る研究や、
ヒト臓器を持つ動物で病気を再現し創薬を目指す研究を解禁する。
人体の一部はつくることができる
これらの研究が進んで、実用性が高まれば、
人体を構成する部分の多くは人工的に作り出すことが可能となります。
ここ数年でAI技術も確実に進歩しています。
もはや人間でも太刀打ちできないほどの能力を持ったAIも出てきています。
これら人工的に作ったものを使えば、人間のようなものが作れてしまうでしょう。
倫理的に許されるかどうかは分かりませんが、
そういった未来はすぐそこまで来ているということです。
テセウスの船
少し話は変わりますが。
ギリシャ神話に「テセウスの船」という話があります。
テセウスの船(テセウスのふね、英: Ship of Theseus)
はパラドックスの1つであり、テセウスのパラドックスとも呼ばれる。
ある物体(オブジェクト)の全ての構成要素(部品)が置き換えられたとき、
基本的に同じであると言える(同一性=アイデンティティ)のか、という問題である。
つまり、人間の手・足・体・脳などの構成要素が置き換えられれば、
それは元の人間と同じ人間と言えるのかということ。
それとも構成要素が全て置き換わった人間は、
もはや人間ではないのでしょうか。
人間は何をもって人間だと言えるのか。
体か、脳か、心か。
難しい問題です・・・
会社の場合
会社は、その構成要素である役員や従業員によって営まれていますが、
役員や従業員は時間の経過とともに入れ替わっていきますし、
会社が長く存続していれば、いつかはその中身(属する人や事業内容)が
全て入れ替わることもあるでしょう。
しかし、会社として同じ理念を持ち続けて活動を続けていれば、
その中身が変わったとしても、同じ会社として認識されて存在し続けるでしょう。
つまり、人でも会社でも、核の部分がしっかり確立されていれば、
見た目が変わろうとも、その構成要素が変わろうとも、
同じ人間や会社であると解する余地はあるということです。
おわりに
いつかの未来には、人間の構成要素は人工的なものに置き換えられる時代が
来るかもしれませんが、構成要素が周りと全く同じとなったときに、
違いを出すことができるとすれば、それは自分の核となる考え方(理念)だと思います。
自分の核を持っていれば、他と同じ部分が多くても、
他と違う核の部分で違いを出し続けることができます。
誰かに自分を選んでもらうためには、自分で自分のことを知って、
その自分の考え方を人に知ってもらうことが必要です。
これは、ブログを書く目的の一つでもありますが、
自分を知って、自分を知ってもらうには、それなりに時間がかかるものだと感じています。
そのためには、考えて・書くということは、やはり必要なんだと再認識しました。