右手の捻挫。いつも大事なものは失ってから気づく。

この記事の目次

はじめに

今週月曜日に右手を捻挫しました。

 

引越しの荷造りのため、部屋には荷物が散乱しており、
つまづいて受け身に右手を着いたらこの通りです。

 

骨に異常なかったのは不幸中の幸いですが、
利き手を使えないのは不便ですし、
今まで当たり前にできていたことが出来ません。

 

出来たとしても、恐ろしく時間がかかります。

 

今まで利き手に頼っていたこと

利き手が使えない状態に陥ると、利き手って大事なんだなと思います。

以下、左手だけで生活してみて感じたことです。

・ご飯を食べる ⇒ 左手スプーンフォークで食べるのは大変です

・左手で字を書く ⇒ なんか字が上手くなりました

・服を着る ⇒ これが一番大変かもしれません

・食器洗い ⇒ 洗えません

・キーボードのブラインドタッチ ⇒ 左手だけでキーボードを見ながらタッチしてます

・財布から小銭を出す ⇒ 小銭をよく取りこぼします

・電車改札口でのPITAPAのタッチ ⇒ 左手を体とクロスさせてタッチ。(かっこよさげです)

・トイレ ⇒ いろいろ出しにくいです

・車の運転 ⇒ 右手は添えるだけ(「某スラムダンク」参照)

・電卓 ⇒ 打ち間違えがすごい

・時計を左手にはめる ⇒ 腹時計で代用しています

いつも大事なものは失って(出来なくなって)から気づきます。

 

当たり前が出来ない

服を着替えるのも、ご飯を食べるのも、歯を磨くのも、PCを使うのも全部左手一本です。

 

今まで当たり前に出来ていたことが急に出来なくなり、
出来たとしても普段の何倍もの時間が掛かりますし、相当疲れます。

 

不便さを経験して初めて出来ない人の気持ちが分かります。

 

自分は当たり前に出来るだろうと思っていることは、
他の人にとっては当たり前には出来ないことかもしれません。

 

自分が受けた恩はどこかで返す

なかなか出来ないでいると、見かねて声をかけてくれる人がいます。

 

今までは出来ていたのだから、ちょっと頑張れば左手だけでなんとかなるだろうと、
自分からは手伝ってほしいというタイミングを逃していましたが、

私がてこずっているのを見かねて、周りの人が自ら声をかけて助けてくれることがあり、
これは非常に有難いと感じました。

 

自分が受けた恩はどこかで返さないといけないと思うので、
自分もそういう人を見かけたら出来ることをしたいと思います。

 

おわりに

少しづつ右手が使えるようになってきましたが、
右手が使えないと、ブログを書くのも一苦労です。
(ブログネタにはなりましたが)

 

こういう時こそ音声入力が本領発揮できるんですが、
最近は出先でブログを書くことが多いので、なかなか使えていません。
(人前で音声入力をするのは勇気がいります)

 

もしもの時のために、新しいことに挑戦して選択肢を増やしておくことは重要です。

 

 

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