気持ちを整理するためのお墓参り。自分の軸を再考する。

この記事の目次

はじめに

私の家庭では、父が早くに病気で亡くなったので、
小さいころからお墓参りに行く習慣があります。

 

一般的には、お正月(1月)、命日、お盆(8月)、お彼岸(3月・9月)
等に行くことが多いみたいですが、

必ずしもその時期に、行かないといけないというものでもありませんし、
自分の行きたいときに行けばいいのではないかと思っています。

現に私は、年に2~3回くらい、行きたいときに行っています。

 

私は、悩みがあったり、気持ちの切り替えがしたい時に、
お墓参りに行くようにしていますし、
お墓参りをすることで、少し気持ちが楽になったりすることがあります。

 

自分が墓守をしないといけないとなると、状況は変わるかもしれませんが、
そうでない場合は、別に自由でいいんじゃないかと思います。

 

誰のために参るのか

お墓まりは誰のためにするのか?

自分のためだと思います。

 

お葬式をするのも、お墓を立てるのも、そこにお参りに行くのも、
全部生きている人間がすることです。

生きている人間が、自分の気持ちに向き合うため、
自分を納得させるため、お墓に亡くなった人が居ると思うため。

いろいろな考え方があると思いますが、それぞれ自分で思う形を作っていきます。

 

普段考える機会が少ないことは、昔から続いてきている習慣に合わせて、
行動することが多いのかなと思います。

これがいいか悪いかは、わかりませんが、
私は考える機会が多かったというか、考えられる期間が長かったので、

その中で思ったのは
習慣に縛られ、「決まった時期にお墓参りにいかなくてはならない」
としたくはないと思っています。

 

私は、誰かのためにお墓まりをするのではなく、
自分の気持ちを整えるためにお墓参りをしています。

 

父の年齢を超えた今

父は34歳で亡くなりました。そして、私は今35歳。

父の年齢を超え、子供をもって、当時父が言っていたことや、
母から聞いた父が考えていたことの意味が、今は分かるような気がします。

 

私が34歳になって父の年齢と並んだ時、今の自分と重ねて考えてみると、
すごく残念だっただろうなと思います。

 

私は小さいころから、父に似ているといわれて育っってきました。

昨年は体調が悪くなると病気の心配をし、人間ドックを受けたり、
胃カメラを3回飲んだり、おしりからカメラを突っ込んだりしました。(笑)

 

結局何も悪いところはなく、今も元気に生活しています。

 

自分の無意識下に34歳という一つの壁があったようで、
今35歳になって少し気持ちが楽になったような気がしなくもないです。

 

おわりに

今日は、自分の過去を語りましたが、
これも自分が今までずっと考えてきたことで、自分の軸に関係がある話かと思います。

 

こうやって文章に書いていて、
これも一つの経験として捉えていて、ずっと自分の中で考え続けてきたことで、
物事の捉え方や、考え方には大きく影響しているのかなと改めて思いました。

 

何事もネガティブに捉えるのは簡単ですが、ポジティブに捉えてこそ、
役に立つのかなと思っています。

 

 

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