自分の研究の重要性は自分で決めることが重要。
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この記事の目次

はじめに

大学院の夏休みもそろそろ終わりに近づいており、M1は夏休みの課題、M2は論文の執筆で焦りが出てくる時期であり、私も”はよせな”と焦っています笑。M1の時は後期の授業の準備や課題をこなすので精一杯で気にもしなかったんですが、大学院は自分で学ぶ姿勢、研究に取り組む姿勢を常に正しておかないと、何もしなくても時間だけは過ぎていってしまうものと感じています。

 

特にM2の夏休みは、授業の課題等もなく、実質論文を書くだけなので、少し気持ちに余裕が出てきてサボり気味になってしまいます。

 

常に最悪を考える

先日、Twitter上でこんなことをつぶやきました。

もう少し詳しく話をすると、大学院はメンタル勝負なところがあり、ある程度メンタルがやられると覚悟をしていないと、途中でしんどくなってしまう人もいます。ただ、しんどくなったからといって消極的になり、逃げの姿勢で論文を書いていれば、当然教授にその姿勢は読み取られてしまうので、教授によっては当たりが厳しくなることもあります。

 

いずれにしても、自分の殻に閉じこもってしまってはいいものは書けなくなるので、守りに入るのではなく少し攻めるぐらいの姿勢がメンタル的にも対外的にも有効じゃないかと思います。

 

しかし、最悪の場合、心や体がついていかずに休学や退学をせざるを得ない状況になってしまうこともあります。ただ、それも早い段階で見切りを付けられればいいんですが、3年目、4年目となってから辞めていく人も実際知っていますし、そうなると、金銭的・時間的に非常に負担が大きくなってしまいます。そして、税理士になることを諦めないのであれば、また別の大学院へ入学し、再度2年間かけて論文を書くこととなります。

 

最悪のことばかり考える必要はないですが、可能性があるということは知っておいて損はないでしょう。

 

論文は通って終わりじゃない

こちらもTwitter上でつぶやいたことです。

論文について国税から認定を受ければ、税理士試験の一部科目は免除されますが、免除されたらそれでおしまいではありません。自分が書いた論文のデータは大学院や国税に残っていて、これから先幾度となく多くの人の目に触れていくこととなります。そう考えると、変なものは書きたくないし、ましてや盗用しての執筆なんてもっての他です。

 

論文は多くの人の目に触れる機会があるので、免除を受けた後で誰かが盗用を発見することがあり、上記の事件についても大学院の生徒が見つけたらしいです。論文の盗用が発覚すれば、過去に遡って免除が取り消され、税理士資格がはく奪され、大学院の修了条件となっている論文の執筆も満たさなくなるので、修士号もはく奪されます。

 

これも恐ろしい話ですが、知っておいて損はないでしょう。

 

以下、概要を引用しておきます。

元大学院生の修士論文が盗用だと分かり、税理士資格を失ったというものである。元大学院生は、社会人大学院生として働きながら会計に関する修士論文をまとめ、2006年3月に修了した。そして、修士号取得を要件に税理士試験の一部科目を免除する制度を利用して、税理士資格を取得した。8月に税理士登録し、都内に事務所を構えた。

しかし9月、学内の論文集を見た大学院生の1人が「似ている論文がある」と疑惑を指摘した。これをきっかけに大学院が調査し、専修大学の大学院生の論文を盗用したと認定した。指導教授は元大学院生に盗用を確認した。盗用発覚により、元大学院生は、税理士試験の合格と、税理士資格が取り消された。

菊地 重秋 「我が国における研究不正(ミスコンダクト)等の概観 : 新聞報道記事から(その4)」『埼玉学園大学紀要 人間学部篇 12巻』(埼玉学園大学、2012)218頁

※クリックするとPDFがダウンロードされます

 

自分の研究の重要性は自分で決める

自分を主体にして物事を考えていないと、上記のようなことが起きてしまいます。論文は教授の言うとおりに書いていかないといけない部分はありますが、あくまでも自分の研究のためのアドバイスをもらっているという前提で話を聞き、自分の研究にそのアドバイスを取り入れ、出来る限り自分の核となる主張は曲げないことが重要じゃないかなと思います。

 

自分が思っていることや考えていることは自分が一番分かっているはずなので、その考えを表現するための方法をアドバイスしてもらっている。そう捉えて、自分主体で物事を考え、自分の研究の重要性は自分で決めることが必要です。

 

おわりに

言われたことをそのまま受け取る”素直さ”は必要ですが、あまりにも素直だと、その言葉の裏に隠された真意に気付くことができません。人の言うことに振り回されない様に、常に自分を主体にして、誰かの言葉のその裏にある真意を知ろうとすることも必要じゃないかなと思います。

 

 

 

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