大学院は読む人から書く人へ変わるチャンス

この記事の目次

はじめに

私は大学院に行くまで、自分の考えを述べることに消極的でした。

税理士事務所の無資格職員はそれを求められませんし、従順で作業をそつなくこなす人が求められるからです。

 

仕事の周辺知識は、10年もやっていれば自然と頭の中に残っていきますので、一通りのことはそれなりにはできるようになります。

 

しかし、やっている仕事の法的根拠やその趣旨を知らず、法律で決まっているからという理解だけでやってしまうのはやらされているのと同じなので、自分なりに理解し、それを議論することが重要だと考えています。

 

議論できる場

親分税理士がいる小さい税理士事務所であれば、自分の考えには価値がない、税理士でないから意見は尊重されないと思っていましたし、現にそういうところが多いかなと思います。

 

極端ですが、ある意味、そういうところでは虐げられながら働かないといけませんから、自分に自信を持てないのも仕方ないのかなと。

(税理士事務所という専門分野に特化した職場で、税法について議論ができない、そういった議論ができる人がいないというのは問題だとは思いますが・・・)

 

しかし、大学院では、常に「あなたはどう考えるのか」ということが問われます。

大学院は議論する場でもありますから、問われたことについてならいくら話しても聞いてくれますし、これに対しての意見もぶつけてくれますので、会話のキャッチボールを続けていくことで思考は深まり、考えることが癖づいていきます。

 

思考力が鍛えられ、考えることが癖づいてくれば、条文の欠点や穴を見つけることができ、さらにそこを掘り下げて、それを言語化することで論文となっていきます。

 

考え方に正解も不正解もなく、それは一つの解釈として尊重されます。

 

論理性を欠いた、整合性を欠いた考えは是正されないといけませんが、答えに至るプロセスを説明できるのであれば、それは一つの立派な理論となります。

 

ですから、税理士でも税理士でなくても、学問の場だけでなく、実務の場でも自分の考えを臆することなく述べていいはずですし、議論できる場があって然るべきでしょう。

 

読む人から書く人へ

先にも述べた様に、大学院で論文を書くには自分の思いや考えを言語化する必要があります。

 

言語化とは、話すこと、書くことを指します。

 

議論をしていると、今まで言語化できなかった考えが、ふとした瞬間に言葉として出てくることも。

 

今までは、誰かが書いた文章を読んで理解し、それを自分のものとするということで勉強をしてきた人が多いと思いますが、読む勉強から議論をする勉強へ発展させれば、議論しているうちに自分なりの解釈があることに気付きますし、その解釈を言葉に出来れば文章として書くことも出来ます。

 

そこから書くことをはじめれば、読む人から書く人へ変わっていくことはできますし、大学院はその機会を得るための絶好の場であると思います。

 

おわりに

大学院では、修士論文を書くことが修了要件となりますので、読む人から書く人に変わるチャンスであり、挑戦でもあります。

 

私も、大学院に入ってからブログをはじめましたし、挑戦して書くことが楽しいと思えるようになれば、書くことを一生のこととして続けていけるかもしれません。

 

【編集後記】

梅雨に入り、毎日雨がしとしと、湿度が高くてじめじめ。

何か気分が乗らない日が多いですが、今日も夜は接骨院でマッサージを受けてきます。

今までなぜ行かなかったのかと思うくらい、気持ちがいいのでしばらく通いたいですね。

 

おすすめ記事