レイシオデシデンダイ。大学院で判例を学ぶ。
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この記事の目次

はじめに

レイシオデシデンダイ(ratio decidendi)。

 

これは、裁判で判決を下す基礎となる原理部分のことを指しています。

 

つまり、「レイシオデシデンダイ」とは「判決理由」のことを指します。

ちなみに、「レイシオデシデンダイ」はラテン語です。

 

判決文や判例評釈を読んでいると、見たこと聞いたことないような言葉や、意味を知らない言葉がよくありますので、新しい言葉が出てきたら調べる必要があります。

 

レイシオデシデンダイとは

このレイシオデシデンダイという言葉、判例評釈を読んでいると唐突に出てきました。

 

当然意味がわかりませんので、なんのこっちゃと思い調べてみると、「先行してあった裁判の判決は、後の裁判の判決に影響を与える」というような意味で使われていて、換言すると「先例拘束性」のことです。

 

余計になんのこっちゃなんですが笑、現在の日本の裁判所は「上級裁判所が下した判断は、
当該事件に限り下級裁判所を拘束する」という立場に立っているため、先例拘束を限定して
認めているというかたちになります。

 

これに対して、アメリカやイギリス等では、裁判の判決が一つの法律の様に取り扱われ、判決が一つの法源として機能しているそうです。(「判例法主義」なんて言葉もあります。)

ただ、事実関係が似通った判例はありますが、内容が全く同じという判例はないので、Aの裁判所でこう言っていたから、Bの裁判所も同じ判断であろうと判断するのは危険です。

 

判決文を読んだ経験が少ないと、判例評釈等を読んで、他の人の意見に流されそうになったり、他の似通った内容の判例の解釈に流されそうになったりしますので、自分の見解が先例に拘束されないように気を付けて読む必要があります。

 

先例に縛られない

さて、ここからは何故かガラっと内容変わってまいります笑。

 

判例検討の時だけでなく、先例に流されて疑問を持たずやってしまうことって結構あります。

 

「前にこうであったから」とか、「誰かがこう言ったから」という理由で行動を起こすのは楽ですが、これは自分で責任を負わないでいい代わりに、行動したことで得られる経験値も少ないので、
なかなか自分のノウハウにはなりません。

 

そうすると、応用が利かないので、次に一からやろうと思った時に苦労しますし、一度やったのに自分のノウハウになっていないので、また一から考えを構築しないといけないのは、二度手間です。

 

前はどうであったかは知っておく必要はありますが、そこに縛られない様に気を付ける必要があります。

 

おわりに

どんなことでも自分で考えないでやってしまうのは危険です。

 

自分のノウハウにするためには、一度自分の中に落とし込んでからアウトプットするように気を付けたいです。

ただ、こういった新しい考え方に出会った時は、勉強していてよかったなと思える瞬間でもあり、
楽しいと感じる瞬間でもあります。

 

 

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