この記事の目次
はじめに
やりたいことだけをやって生きてくことができれば幸せですが、
他の人が求めることは、自分がやりたいことではない、
別のことである場合が多いです。
その求めに答え続けると、
自分のやりたいこと以外のことに取り組む機会が多くなるので、
求められたことのスキルが自然と上がっていきます。
求められたことができることになる
そうすると、自分自身やりたいことではないことが、
できるようになり、人から認められることに喜びを感じる場合、
求められたこと事体ではなく、人の役に立てるという面から、
やりたいことになる場合もあります。
そして、求められたことが、自分のできることになっていき、
自分のできることを継続して続けていくことで、
関連することを取り組むのにハードルが下がっていますので、
できることの周辺知識やスキルを自然と習得していくことになり、
結局はできることを続けていくことになる場合が多いです。
一般的でないことは、道を探さなくてはいけない
私はサッカーが好きで、高校生の頃はサッカー部に入っていたのですが、
自分に思ったほどサッカーの才能がなく、
自分のイメージと現実にギャップがありすぎて、
技術的、メンタル的にもついて行くことができなくて、
1年ちょっとで辞めてしまいました。
しかし、サッカー部辞めた後も、サッカーは好きだったので、
クラブ活動を通してではなく、
友達と集まってフットサルをしたり別の形でサッカーを楽しんでいました。
つまり、やりたいことの才能がなければ、
公にやりたいことをずっと続けていくことが難しく、
多くの人とは違った方向からしか、取り込むことしかできません。
自分の理想と現実とのギャップを
どうやって埋めていくのかが重要になってきますし、
求められていないことでを続けていけるだけの好きがあるのかも重要です。
好きだけで続ける
誰にも求められていなくて、自分の好きだけで続けていること。
それは趣味というものになると思いますが、
私の今の趣味は、映画、読書、ゲームです。
直接的に、これらを実行するよう誰かに求められることはほとんどありません。
(読書交換は直接的に求められていますが
⇒関連記事 コミュニケーションツールとしての図書交換。/TIME-TAX)
しかし、自分の役には立っています。
好きなことをして、ストレスを発散することで、
新しい発想が生まれたり、明日からの原動力になったりしますので、
間接的には人に求められたことを実行するための役には立っているのかなと思います。
おわりに
自分のやりたいことと、求められていることは違うもので、
そのギャップの差に苦しむこともあると思います。
しかし、やりたくないことだけを続けていくのは苦痛以外の
なにものでもないので、やりたいことを適度に織り交ぜて、
無理やりにでも共存させていくことが必要かなと思います。