善意とお金は切り離す。混同するとお金に流される。
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はじめに

子供を保育園に送り迎えするのは、妻がやってくれています。
毎日朝9時から5時までです。

 

今年の3月までは、京都の保育園(前の保育園)に通っていて、
この4月からは滋賀の保育園(今の保育園)に通っています。

 

前の保育園では、お迎えに1分でも遅れると
延長料として毎回500円が徴収されていました。
(保育園によってルールが違うようです)

 

妻も今まで何度かお迎えに遅れたことがあり、
延長料を支払っていました。

 

保育園も善意だけでは経営が成り立ちませんので、
延長料は当然に利用者が負担すべきものです。

 

ただ、善意とお金は両立は難しく、善意の場所にお金が入り込むと、
そこに居る人の意識が変わってくることがあります。

 

善意とお金

話はガラッと変わりますが、
例えば、妻や夫の実家の食事会にお呼ばれしたとします。

 

そこには、とびきりのご馳走が山ほど並べられ、
みんなにこにこして会話も楽しい、すごく素敵な時間を過ごしたとします。

 

そういった善意で満たされた場に
「こんな素晴らしい食事会に呼んでくれてありがとうございます。
お礼に5万円を支払います。」

とお金を支払うと申し出るとどうでしょう。
その場は一瞬にして凍り付き、もはやお開きムードです。

 

”善意で成り立っている場所”に”お金”を持ち込むと、
微妙な空気になりますし、状況によっては怒りを感じる人もいるでしょう。

 

つまり、保育園も少しの遅刻を善意でカバーした場合は、
遅れた側は申し訳ないという気持ちになりやすく、
善意に対して答えようとして、次からは気を付けようと思います。

 

逆に、保育園が罰金を課した場合は、善意の場がお金のやり取りに替わり、
遅れる側はお金で解決できるという考えになります。

 

極端に考える人であれば、
500円を支払えば遅れてもいいという考えになるかもしれません。

 

前の保育園ではお迎えに遅刻する人が多いと聞いたことがありますし、
もしかしたらこういった作用が生じていたのかもしれません。

 

日常的な善意に対応するには

私たちは日常的に多くの人の善意を受けています。

こういった、お金が絡まない善意にはお金で返すのではなく、
こちらも善意で返すか、それが難しければお金以外のもので返さないと、
上記の様な微妙な空気になり、
人間関係がスムーズにいかなくなることもあります。

 

その場合は、プレゼントが有効です。

 

どうやらプレゼントはお金という認識は生まれず、
善意の範囲で受取ってもらえることが多そうです。

 

例えば、上記のように食事会に呼ばれたて何かお礼をしたいと思った時は、
お金ではなく、おいしいお酒などの手土産を持っていくことが最善策だということです。

 

おわりに

人は善意を受ければ、それを返したいと思うものですが、
なかなか返す機会がないこともあると思います。

 

そういったときは、善意を受けた人に直接返すのではなく、
社会に返していくことも一つかなと最近思っています。

 

小さいことですが、バスや電車でお年寄りに席を譲るとか、
困っている人を見かけたら声を掛けるとか。

 

お金の世界で生きていると、
どうしてもドライな人間関係になっていってしまいますので、
善意とお金は切り離して考えるようにしましょう。