この記事の目次
はじめに
先日、大学院の授業で「平等」と「公平」についての話を聞きました。
私と同じ大学院の生徒なんですが、その方は教員経験者で、
教育現場に入る際に聞いた話(おまんじゅう3つの話)をして頂きました。
まずは、「平等」と「公平」の違いについて、
少し述べておきたいと思います。
例えば、おまんじゅうを配る場合。
「平等」に配るとは、
差を付けることなく同じおまんじゅうを同じ数だけ配ることをいいます。
「公平」とは、人によって差をつけて、
同じ結果(満腹度)が得られるようにおまんじゅうを配ることをいいます。
どちらが正しい考え方なのか一概には言えませんが、
税法では「公平」を掲げており、
所得税の累進課税制度も「公平」の考えが前提となっています。
おまんじゅう3つの話
おまんじゅうが3つあり、A、B、Cに配ります。
この情報だけで、おまんじゅうを配る場合、
一人一つずつ配るのが「平等」であり、
また「公平」であるといえるでしょう。
しかし、Aは一人っ子、Bは二人兄弟、Cは三人兄弟という情報があれば、
みんなに一つずつ配ったのでは、Aは一人で一つ食べられるけど、
BとCは兄弟でわけないといけない。
これでは「平等」は保てても「公平」は保てません。
じゃあ、兄弟の人数も考慮して分ければいいじゃないかと思いますが、
実はAの家庭は貧しくて、おまんじゅうを食べる機会はほとんどない。
という事実が判明すればどうでしょう?
これは考慮するべきでしょうか。
おまんじゅう話はここまでです。
ここから先は、教育現場に入ったあなたが考えていきなさいと、
重たいものを背負わされるのだとか。
私「ほぇ~」
境界線上の争い
おまんじゅうを配る側からしたら「平等」を保つ方が簡単です。
しかし、おまんじゅうをもらう方は「公平」を求めます。
目線が違うことにより思う事も違って、目指すところが違ってくるのでしょう。
その境界線上の取り決めを作っているのが法律で、
「平等」と「公平」を天秤にかけながら、あーだこーだと争って、
よりよい法律(実態に合った法律)になっていくのかなと。
おわりに
私も2人の子供の親として、
子供には何でも「公平」に与えたいと考えていきますが、
子供たちは自分の方が少なかったり小さかったりしたら、
もめだします笑。
教育者じゃなくても、日常的に悩むことであり、
簡単に答えはでそうにありません。